この1年、というかほぼ半年の中で、親しい人を4人亡くした。
あまり人の死について書くべきではないかもしれないが、
同じ境遇の人もいると思うし、何より自分の考えを整理する為に書いてみる。
時系列でいうと、今が6月で、
10月→祖父(90代・病死)
11月→職場の人(40代・病死)
3月→同級生(30代・自殺)
6月(今月)→職場の人(40代・急死)
といった感じ。
命に違いを付けるべきではないが、
祖父の場合は、入院していたのもあって、
事前に会いに行くことも出来て、
90歳までよく生きたね。という心の準備も出来ていた。
だが、残りの30代-40代の3人は、また完全に違った感覚だった。
自分が30代ともあり、年齢的にも近く、
死とはまだ無縁の年齢と思っていただけに、経験したことがないほどの衝撃を受けた。
というより、その現実を受け入れることが出来なかった。
今でも現実をしっかり受け入れられているのか、怪しい部分があるが。
当時、死の知らせを聞いた時は、
とにかく唖然として、その現実を理解し、沢山泣いて、現実逃避をした。
だが、現実は恐ろしいもので、残酷にもその事実が立ちはだかり、時は一刻と過ぎていった。
そして、現実を受け入れられない放心状態の中、通夜・葬儀で、その遺体を目にし、
それが紛れもない事実であることを痛いほどに痛感させられた。
「あ、本当に死んだんだ」という残酷な現実。
身体を触ると冷たいし、もちろん話しかけても反応は無い。
もう永遠に会えないし、話すことも出来ないし、連絡を取ることも出来ない。
直近で交わした会話が、永遠に脳内でリピートされるだけ。
今でも、ふとした瞬間に考えてしまい、放心状態になってしまう。
こうした経験を経て、気付いた事としては、
「人は何歳でも、いつでも、いきなり死ぬんだなと。」
30代・40代はまだ若いと思っていたが、もう死が近づいて来ているんだなと。
30代の同級生ですら自殺を選んだし、誰しもが自ら命を絶つ可能性もあるという事。
これは10代・20代でも起こりうる話だとは思うが。
そして病気に事故、人はどんな年齢・タイミングでも死ぬ可能性があることも痛いほどに痛感した。
若い頃は永遠に錯覚しがちな、この命も、永遠じゃないんだと。
そして、その人が死んだ後は、怖いほどに何も残らない。
どんなに良い人・素晴らしい人でも、死んだらそこで全てが終わり。
親しい人の記憶の中には永遠に残るが、
実際は、淡々と葬儀が行われ、残酷にも日常が過ぎていくだけ。
人って、誰しもが簡単に死ぬ可能性があるんですよね。
だからこそ、今生きている命には価値があるんです。
何事にも変えられない価値があるんです。
何もしなくていいんです。生きているだけでいいんです。
それが何事にも変えられない価値なんです。
生き方に悩む必要も無いんです。自由に生きればいいんです。
いつか自分が死ぬ日まで、とことん自由にワガママに生きてやりましょう。
そんな価値のある命で生きているのに、精神を擦り減らすなんて無駄の極みでしかありません。
誰しもが人生における時間は限られています。
限られた時間、身近な好きな人達と楽しく過ごし、感謝を伝えて楽しく生きていくだけでいいんです。
逆に、嫌いな人・苦手な人に、合わせて精神を擦り減らすのは無駄でしかないので、
適当に流して生きていきましょう。
長くなりましたが、まとめると、
死を経験して、"何気ない今の生"の価値を痛感した。
という感じですね。
人それぞれ、色んな人生を歩んでいると思いますが、
"何気ない今の生"に、何事にも変えられない価値があることを絶対に忘れてはいけません。
生きることも辛いですが、"ただ生きること"にはそれ以上の計り知れない価値があるんです。
若い年代かつ、親しい人達の死によって、命・人生の価値について考え直させられたような気がします。

親しい人の記憶には永遠に残り続けます。
その人との沢山の思い出を胸に残しながら、
一緒に生きていくしかないですね。
思いは繋いでいけばいいんです。