社会人(サラリーマン)として生活する日々。
毎週日曜日になると、決まって強烈な憂鬱の波が押し寄せてくる。
学生時代にも同じ気持ちがあった気もするが、
その頃は「あ~学校だるいな~」ぐらいの軽い憂鬱だった気がする。
それと比べると、社会人の日曜日の憂鬱は強烈。
この憂鬱の原因は何なのか?と最近考えているが、
恐らく「平日の仕事の頑張り過ぎ」が原因かなと思う。
・平日の仕事を頑張り過ぎる
・平日の職場で偽りの自分を演じ過ぎている
などなど、「平日の仕事を真面目に頑張り過ぎている人」ほど日曜日の憂鬱が大きくなると思う。
休日にその頑張りスイッチを切り、自然体の自分に戻った時、その反動の大きさに気付く。
金曜日の仕事終わりに、頑張りスイッチを切る時の嬉しさも人一倍大きいが、
日曜日の終わりに、頑張りスイッチを入れ直す事への抵抗も人一倍大きく、それが強烈な憂鬱を生み出す。
そう考えると、日曜日に強烈な憂鬱に襲われた時は、
「自分は平日の仕事を頑張り過ぎているんだ」と考え、少し肩の力を抜いた方が良い。
・社会人としての責任感
・周囲からのプレッシャー
・将来への不安
など色んな感情を社会人は背負うことになるが、もっと楽観的に生きても良いと思う。
学生時代の憂鬱が今に比べて軽かったのは、"頑張り過ぎていなかったから"だと思う。
今のような頑張りスイッチを入れるという感覚すら無かったし、
「授業がだるい」「宿題がめんどくさい」
その程度の憂鬱だった。
むしろ社会人となった今でも、その程度の憂鬱で十分だと思う。
肩に力を入れ、精神的にも張り詰めて、将来に不安を抱えて生きるのではなく、
「朝起きるのだるい」「上司がめんどくさい」
みたいな感じで、学生時代のように軽い憂鬱で済ませて全然OK。
社会人となった今では、
「死にたい」「消えたい」という強烈な憂鬱に襲われる時さえあると思うが、
そう思った時は、
「自分はそう思うまでに平日を頑張り過ぎているんだ」と気付いて欲しい。
決して負の感情ではなく、自分の頑張りスイッチの負荷が大きくなり過ぎているだけだという事。
今一度立ち止まり、学生時代のように、ぼんやりとした憂鬱を抱えながら自然体で生きたら良いと思う。
基本的に
学校は「教養を学ぶ為に(嫌々)通う場所」であり、
仕事は「生活するお金を貰う為に(嫌々)通う場所」なので
「だりーなー」というテンションで通うぐらいがちょうど良い。
必ず優等生である必要もないし、転校も出来るし、退学も出来る。
自分は常に自由に生きれるという事を絶対に忘れてはいけない。