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「何者かになりたい」と悩むのは無意味、すでに自分は「何者かである」

SNSが生活の軸になっている現代では、「何者かになりたい」と悩んでいる人がかなり多くいるようです。自分も特に20代前半の頃は、「何者かになりたい」と思い続けて、会社を辞めて色んなことに必死にチャレンジしたりと「何者かになろうと」もがき続けている時期がありました。今でもふと考えることはありますが、今は思考を整理出来ているので、「何者かになりたい」と悩むことはまず無いです。そもそも「何者かになりたい」と考えること自体が無意味であり、間違っていると思います。「何者かになりたい」という感情は、「自分は何者でもない」という認識からくる感情であり、「自分は何者でもない」という事がまず有り得ないんです。例えば自分の場合だと、日本という国に生まれた男性で、学生時代を適当に過ごし、1度会社員を辞めて個人事業主を経て、現在は再び会社員+スロットで生計を立てて、自由きままに生きている「者」です。というように、人は生まれてからそれぞれ唯一無二の人生を歩んでいるので、もうすでに「何者かである」んです。自分を「何者か」で表現した時に、他の人と100%キャラクターが被ることはあり得ません。独自の人生経験を積んできての今なので、すでに他人とは異なったキャラクターがあり、「何者かである」んです。なので「何者かになりたい」と悩むことは無意味。ただ生きているだけで、人は勝手に唯一無二の「何者かに」なります。恐らく、SNSが流行し過ぎて、華々しいインフルエンサー・芸能人を身近に見れるようになった結果、そのような有名人が「何者かであり」、それ以外の一般人は「何者でもない」と認識してしまっているんだと思います。その認識は完全に間違っていて、有名人も一般人も「何者かである」これが正解です。有名人は、自分の人生を歩んできた結果「有名人という者」になった訳であり、一般人も、自分の人生を歩んできた結果「一般人という者」になっただけの話です。あくまで仕事のカテゴリーだけの話であり、そこに優劣は無いですし、有名人にも一般人にもそれぞれの独自のキャラクターがあります。自分の人生を振り返れば、自分にしかない人生経験・キャラクターがあるはずです。人は勝手に生きていくだけで、「何者か」になっていきます。なので「何者かになりたい」と悩むことは完全に無意味なことなんです。無意味というか、そもそも答えが無いという感じですね。この世に生まれた時点で、生まれた場所・性別・名前を授かり、独自の「何者かになる」ので、その時点ですでに「何者かである」と言えますね。かなり哲学的な話になってしまいましたが...、まとめると、無理に「何者かになりたい」と悩むのは無意味であり、すでに「自分は自分という者である」といった感じですね。

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